6,050円(税550円)
南部鉄器と聞いて思い浮かぶ、華美な装飾と重厚な作りの南部鉄器とは全く異なる、ストイックなほどにシンプルな釜定工房の南部鉄器。
熱効率が良く、保温性も高い鉄鍋。中華鍋のように一気に熱を入れるお料理に適しているのはもちろん、実は、黒い鉄鍋や陶磁器は20℃以下でも遠赤外線効果を発揮するため、弱火でじっくりと火を通すお料理でも食材のアミノ酸類を増加させ、うまみを逃がすことなく引き出す効果にも優れています。弱火でゆっくりと火を通したお野菜は煮崩れも少なく、お肉も野菜もうまみがぎゅっと詰まってほくほくの仕上がりに。また、鉄鍋はなかなか現代の食生活で摂りにくいと言われる鉄分が日常的に摂取できるのも嬉しいポイントです。釜定の洋鍋には蓋がないため、長時間の煮込み料理など不向きなお料理もありますが、鍋料理にはもちろん、グリルやグラタン、デザートなどのオーブン料理から味噌汁やスープなどの汁物、煮物や炒め物まで、毎日のお料理にお使い頂けます。
デザイン的にもアクセントとなり、黒い鉄の素材を美しく見せている無垢の木の取っ手は、お手入れの際やスタッキングして収納する際、食卓でお料理を頂く際にもさっと外せるため、そのまま食器代わりに使うことができます。和洋問わず様々なテイストの食器に馴染み、お料理を引き立てるシンプルな鉄鍋は、火から外して熱々のまま食卓でお料理をいただけるのも魅力的。
また、鉄錆びが心配される鉄鍋ですが、普段のお手入れ方法は汚れや焦げをきちんと落として、よく空焼きしてしっかり乾かす、これだけです。デザインもシンプル、お手入れも至ってシンプルな使い勝手の良いお鍋。料理家やプロの間で人気の理由も納得です。
南部鉄器とは、岩手県の奥州市水沢区と、盛岡市で作られている鉄器の総称。今日では岩手県内で生産される鉄鋳物を総称して南部鉄器と呼んでいますが、旧盛岡市の南部鉄器と奥州市の南部鉄器には異なった歴史があります。盛岡市の南部鉄器は、南部藩が主に茶の湯の道具をつくらせるため、京都から盛岡に釜師を招き、茶の湯釜をつくらせたのが始まりといわれています。その後、藩が職人を保護・育成し、武器や茶釜、日用品など幅広く発展します。有名な南部鉄器の鉄瓶(南部鉄瓶)は18世紀になって茶釜を小ぶりにして改良したのが始まりで、手軽さから広く用いられるようになりました。一方、伊達藩の支配下にあった現在の岩手県奥州市水沢区の南部鉄器は、平安後期に藤原清衡が近江国から鋳物師を招いた事に始まり、日用品の鋳物の生産が盛んになりました。明治時代以後は両産地の技術交流が進み、昭和30年代には総称して「南部鉄器」と呼ぶようになります。その後、南部鉄器は1975年(昭和50年)に通商産業大臣指定伝統的工芸品(現・経済産業大臣指定伝統的工芸品)に指定されました。
今も江戸の城下町の面影を残す盛岡市紺屋町で100年以上続く南部鉄器工房、釜定(かまさだ)は、創業者の「定吉」より一字をとって屋号を「釜定」とし、明治時代に創業した南部鉄器の老舗工房。岩手を代表する南部鉄器工房のひとつです。いわゆる「南部鉄器」と聞いて想像する装飾の多い重厚な南部鉄器と異なり、シンプルかつモダンな釜定の南部鉄器は、釜定工房の三代目、宮 伸穂(みや のぶほ)氏と、わずか数名の熟練した職人たちによって生み出されています。当主の宮氏は1952年生まれ。金沢美術工芸大学でクラフトデザインや漆器、染色などさまざまな工芸の世界に触れ、東京芸術大学大学院で金工を学びます。職人として、伝統工芸士として伝統工芸の製法を受け継ぎ、深め、後世に伝えて行く傍ら、「工芸品は、時代に合ったものでなければ使ってはもらえない」として、鋭い感性で現代のニーズを捉え、南部鉄器の伝統的な意匠をシンプルで機能美に溢れるモダンなデザインに昇華させています。職人でありながら豊かな感性と鋭い時代感覚によって生み出される釜定工房の南部鉄器は、日本のみならずフィンランドやアメリカなど国内外で高い評価を受け、幅広いファンの間で愛されています。
サイズ |
洋鍋(小):W145mm×D125mm×H85mm:0.85kg 洋鍋(中):W205mm×D190mm×H105mm:1.6 kg 洋鍋(大):W250mm×D270mm×H120mm:3 kg |
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素材 | 鉄(南部鉄器) |
仕様 | 箱入り |
納期 | 約1週間 |
送料 | 食器・雑貨 |
デザイナー | 宮 伸穂 |
備考 | 釜定商品の欠品の場合には、次回入荷まで数ヶ月かかります。入荷案内はfacebookにてご案内致します。(個別対応はお承りできませんのでご了承下さい) |
洋鍋(小) | 洋鍋(中) | 洋鍋(大) |
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5,500円 | 10,000円 | 13,500円 |
(税別) |