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70年代頃のメキシコのオアハカで作られたウッドカービングの鳥や動物は、ミッドセンチュリーを代表するテキスタイルデザイナー、Alexander Girard(アレキサンダージラルド)をはじめ、世界各国のデザイナーやコレクターたちを魅了し、日本でも濱田庄司記念益子参考館など、様々な民芸館で所蔵されているのを見ることができます。
より滑らかな曲線を描き、毛並みや模様が緻密に描き込まれ、発色が良く色褪せしないアクリル塗料で描かれる現代のオアハカのウッドカービングとは全く異なる印象ですが、彫りのラフさや当時使われていたアニリンペイントにまでこだわり、1970年当時のウッドカービングを忠実に再現したこの復刻版は、木の乾燥や酸化等の経年変化によってビンテージの味わいをお楽しみ頂くことができます。
木に馴染んだ優しい色合いと荒削りなタッチのどこかとぼけた愛らしい雰囲気のウッドカービングは、木を基調とした北欧家具や手仕事の生きた民芸品、日本家屋などにもとても相性の良い仕上がりです。
1919年、メキシコ・オアハカで作られる木彫りの動物、"ウッドカービング"の生みの親、Manuel Jimenez(マヌエル・ヒメネス)は、オアハカから車で約20分ほどの町、アラソラ村の農家に生まれます。ある頃から彼の夢にジャガーやカエルやウサギなどといった動物が現れ、寝付けない日々が続くようになると、彼は農具を使ってその夢に出て来た動物たちを掘り出し、色を付けて夢の動物たちを再現することにしました。
第二次大戦後、アメリカ人観光客がオアハカを訪れるようになると、マヌエル・ヒメネスは観光客に自分の作品を売って歩くようになります。荒削りでありながらおおらかなマヌエル・ヒメネスの木彫りの動物たちに魅せられたアメリカ人たちの間で彼の作品が有名になり、アメリカ人の仲買人が買い付けにやって来て、作る作品全てを買い占めて行くほどの人気を博すようになると、マヌエル・ヒメネスはその人気に溺れ、その後しばらく製作の手を止めてしまいます。
しかし1970年代、マヌエル・ヒメネスは単身アメリカに渡り、ロサンゼルスで再びウッドカービング作りに没頭します。
当時、先住民文化が称揚されていたアメリカにあって、世界中の工芸品コレクターであったネルソン・ロックフェラーや、ハーマンミラーのデザインディレクターであったアレキサンダー・ジラルドの目に止まり、ジラルドがウッドカービングの映像制作を手がけるなど、メキシコの民衆が作るフォークアートとしてアメリカで紹介されたことがきっかけで、マヌエル・ヒメネスのウッドカービングはスポットを浴びることになります。民俗芸術博物館やワシントンDCのスミソニアン・ミュージアムなどがこぞって彼の作品を紹介すると、一躍ウッドカービングブームに火が付き、メキシコ観光のツアーにまでアラソラ村が組み込まれるようになりますが、農作業の間にマイペースなもの作りを続けるヒメネス・ファミリーの作品だけでは供給が全く追いつかず、彼らの需要に応えるように、アラソラ村にウッドカービングの作り手が増えて行ったのだそうです。
2005年、享年85歳でマヌエル・ヒメネスが息を引き取った後、息子のイサイアスとアンヘリコが木彫りを受け継ぎ、彼らの家に作られたマヌエル・ヒメネス記念室には今もオアハカの学校の生徒たちが社会見学に訪れています。
サイズ | 約W155mm×D100mm×H145mm |
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素材 | 木 |
色 | |
仕様 | ウッド / アニリンペイント |
納期 | 1週間以内 |
送料 | 食器・雑貨 |
生産国 | メキシコ オアハカ / mexico oaxaca |
備考 | ・一点一点天然木をハンドメイドで加工しているため、木の歪み、細かなカケなどがございます。予めご了承ください。 ・稀に内部にキクイムシなどが発生する場合がございます。その場合は一般的な殺虫剤でのご対応をお願いしております。 ・モニタにより実際の色と多少異なることがあります。 ・店頭と在庫を共有しておりますので、万一更新に時間差が生じた場合にはご注文時に商品が欠品している可能性がございます事をご了承ください。 |